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     徳川家康には複数の西洋人が仕えていた。なかでも有名なのが八重洲という地名の語源となったオランダ人のヤン・ヨーステン(耶揚子)とイギリス人のウィリアム・アダムスだ。後者は家康の外交顧問として活躍、三浦按針という日本名を与えられ三浦半島に領地まで与えられた。1620年に肥前平戸(現在の長崎県平戸市)で亡くなったとされる。

 平戸市の崎方公園内には「三浦按針墓地」と命名された区画があり、2017年に開始された発掘調査とDNA鑑定の結果、今年の4月になって、そこに葬られていたのが本当に三浦按針である可能性が高まった。

 科学鑑定によると、骨の主が死亡したのは1590年から1620年の間。DNAの塩基配列は日本人にはなく、北・西ヨーロッパ人に多い「ハプロタイプH1」。この期間に平戸で死亡した西洋人は三浦按針を含めて10人いるため、まだ確定とはいかないが、平戸市は決定的な証拠を得るため、按針の親族の子孫を求めて情報収集中とのこと。見つかることを期待したい。

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